くるくるプラザ102号
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参考:「すいた歴史散歩<増補版>」吹田市教育委員会 「わかりやすい吹田の歴史 本文編」吹田市立博物館 吹田市公式ウェブサイト「佐井寺地域」「佐井寺くりぬき水路」 阪急千里線 千里山駅 佐井寺くりぬき水路 トンネル部分 佐井の清水碑 愛宕神社 佐井寺 くりぬき水路 説明板 佐井寺 (おこうずい池) 吹田SA 釈迦ケ池 6 行基が本尊を掘り出した場所は行基山と呼ばれ、現在は愛宕神社が祀られています。愛宕神社の神様は集落を火災から守ってくれる神様で、一般に風上の高所に祀られました。夏には愛宕盆が行われています。 この地は水に乏しかったとされますが、行基の祈祷によって湧水が現れたと伝えられています。これが「佐井の清水」で、この湧水は佐井寺の境内に引き込まれて「お香水(おこうずい)」と呼ばれました。かつてこの水は「おかうずゐ池」に流されていたといい、病気の快復、特に眼病に効きめがある霊水として信仰を集めてきました。 近くにある釈迦ヶ池は、吹田市内で最も古い農業用ため池の一つで、かつては周辺の農地に水を供給していました。しかし、新田開発が進む中で、慢性的な水不足に悩まされていたようです。そこで、佐井寺村の余剰水を釈迦ヶ池に引き込むため、「佐井寺くりぬき水路」が築かれました。この水路は丘陵地を約130メートルにわたって掘り抜き、さらに約500メートルの水路を通じて水を運ぶ仕組みでした。江戸時代の明和年間(18世紀後半)にはすでに存在していたとされ、内部は素掘りで造られています。現在、現地にはこの水路についての説明板が設置されていますが、残念ながら、実際の水路跡は残っていません。 佐井寺は飛鳥時代から続く寺院であり、水と人々の暮らしをつなぐ重要な拠点といえる存在でした。そして「吹田の三名水」のひとつとして、今も多くの人々に親しまれている理由が、歴史をたどるとなるほどと納得しました。 これまで「垂水の瀧」と「泉殿霊泉」について書いてきましたが、これらと並び称される「吹田の三名水」のひとつ、「佐井の清水」も取り上げないわけにはいきません。 佐井寺は、かつては山田寺(さんでんじ)とも呼ばれていました。寺伝によれば天武天皇6(677)年、僧・道昭(どうしょう)の草庵が起こりで、天平7(735)年に僧・行基が裏山の瑞光に気づき、地を掘ると十一面観音像が現れました。これを本尊として祀り、伽藍(寺院の建物群)と60余りの院が整備されたと伝えられています。当時の佐井寺は、非常に広大だったようです。 佐井寺の歴史と水の恵み

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