くるくるプラザ101号
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参考:泉殿宮のサイト「ご由緒」 「すいた歴史散歩<増補版>」吹田市教育委員会 「月刊 みんぱく」2010年8月号 国立民族学博物館 吹田市公式サイト「吹田の水道水ってどこから?」 阪急千里線「吹田駅」のすぐ近くに「泉殿宮」という、とても立派なお社があります。「いづどのぐう」と読みます。吹田市役所の近くでもありますので、吹田市民にはおなじみでしょう。 昭和45(1970)年、吹田で開催された大阪万博の地鎮祭・立柱祭は、泉殿宮の宮司が斎主を務めました。立柱祭で使用された元柱(もとつはしら)「木曽50年杉」はその後、泉殿宮に奉建され、泉殿宮にて会期中の万博の無事成功を祈念しました。その元柱は今も本殿右側にあります。その一方、残念なことに「泉殿霊泉」の水脈は地中奥深く移ってしまい、昭和30年代後半には涸れてしまいました。 吹田の水道水の水源は、主に地下水(深井戸)と淀川の河川水から供給されています。私たちが、地下水にとてもお世話になっていることが分かりますね。吹田は昔から豊富な水と関連がある地なのだとあらためて知り、自然の恵みに感謝する次第です。 (たけはやすさのおのおおかみ)の神輿が、当宮に立ち寄った際に、おりからの干ばつの解消古来、伏見稲荷大社の御祭神である「宇迦之御魂大神」(うがのみたまのおおかみ)を祀っていました。泉殿宮の「ご由緒」によると、平安中期頃、播磨の広峯神社から京都祇園の八坂神社に向かう「建速須佐之男大神」 を祈ったところ、境内から泉が湧き出ました。これが神社名と「泉殿霊泉」の由来になり、本殿左側に史跡として残っています。この時の里人の喜ぶさまが「泉殿宮神楽獅子の舞」や「傘踊り」になったといいます。 明治22(1889)年に「泉殿霊泉」をビール処のミュンヘンに送り、ビール醸造に適した水とのお墨付きを得たので、霊泉と同じ水系の湧水を原料として東洋初のビール工場である大阪麦酒会社吹田醸造所(現アサヒビール吹田工場)が建設されました。吹田は大都市に近く、神崎川の水運があり、また大阪-高槻間の官設鉄道(現JR)の「吹田停車場」があるため、この地が選ばれました。 今から15年ほど前に、国立民族学博物館(みんぱく)が総合地球環境学研究所(地球研)に「泉殿霊泉」の代わりに、近くの片山 公園の壁泉(へきせん)の地下水の水質分析を依頼しました。するとこの地下水は、能勢 地方の山間部の降水を起源とするらしいこと がわかりました。吹田から遠く離れた能勢からの降水が「泉殿霊泉」の元のようです。 6 泉殿霊泉 片山公園の壁泉 元柱 泉殿霊泉と大阪麦酒

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